徒然日記 〜通訳案内士、ふたたび〜

コロナ禍休業を経て、通訳案内士業に復帰。7年暮らしたソウルが第2の故郷(22年3月帰国)。中学生の母。ミニマリストに憧れている。

2017年06月

首を長〜くして待ち焦がれていた某社から、来年度アサインの連絡がようやくきた。ので、まだまだざっくりだけど、2018年のスケジュールがいったん見えてきた。

来年のアサインが決まっているのは、今のところ2社。どちらも、小規模グループのロングツアーを提供している米系旅行会社。A社からは16〜19日間のツアー4本、B社からは14日間のツアー2本のアサインで、合計98日間。

とはいえ、このアサインはまだ確定ではない。ツアーが催行されない可能性もあるし、今秋の両社のツアーでお客さんからの評価が悪ければ、アサインが取り消しになることもある。ので、まだまだ油断禁物。。

インバウンドツアーに加え、来年も夏に海外スタディツアーを1〜2本できたらいいなあと思っていて、両者あわせて100日前後になるのがわたしの理想。

去年はメインのA社のアサインが5月上旬には出ていたので、今年は1ヶ月半以上も連絡が遅かった。

3月のスコアが最悪だったからか、わたしの貢献度が足りないからか、ガイドが増えたからか、新しいツアーの対応があったからか???

と、考えられる理由はいくつもあるのだけど(あるいは全部が要因か)、なんというか、この1ヶ月半はずっとこのことが胸につかえていて、考えるたびに重苦しい気持ちになった。どの原因がメインだろうと(というかボロボロのスコアが最大なのもわかってるんだけど)、A社にとってのわたしの優先順位がガタ落ちしていることだけはわかっていたので。

ボロボロだった3月のツアーも、好調だった5月のツアーも、わたしは同じようにベストを尽くしたつもり。でも、結果は正反対。もちろん相手は人間なのだから、毎回お客さんの受けとめかたが異なるのはわかる。わたしがお客さんが求めているものをちゃんと汲みとれていなかったのが最大の要因なんだろう。

ただ、それでも、どちらのツアーにも熱意と誠意を込めて全力投球したつもりなのに。。という気持ちは消えない。「つもり」というのはわたしの都合?でしかなくて、結果がすべてなのに、まだまだプロになりきれてないなあと、自分でも思うけど。。

というわけで、2017年度後半も2018年度も、精進していきたいと思います。
IMG_0022
鎌倉ハイキングの途中で見つけた、岩壁に刻まれた仏様。精神的なアップダウンを緩和するために、瞑想再開しようかしら。。
mixiチェック

昨日、ジムで60分のエアロビのクラスに参加してみた。

音楽に合わせて楽しみながら全身運動できるんでしょ、ぐらいの気軽な気持ちだったのだけど、これがもうものすごく本気のハードなクラス。全然手加減しない先生に、必死についていこうとする受講生たち。

60分のうち30分くらいはウォームアップの全身運動だったんだけど、腕をぶんぶんふりまわしながら、常にステップを踏み続け、ぴょんぴょこ前後左右に移動したり、スクワットみたいな上下運動をしたり、もうとにかくめちゃくちゃに動き続ける。

で、そのあとようやく?エアロビの振り付けに入る。

先生いわく、
「全身をきっちり動かせる状態にあることがまず大事であって、そのためのウォームアップ」
「身体の動きをしっかりせずに振り付けだけやろうとしても、意味がない」
とのこと。

印象的だったのが、たとえば次のような指導。

「腕を1番上まであげたら、あとは重力に任せるだけ。全部の動きを自分で動かそうとするから、つかれちゃう。必要なのは上にあげるだけ、あとは勝手に腕が落ちる。重力を利用すれば、自然に身体は動く」

この「自然に身体は動く」っていうのが繰り返し強調されるのだけど、どうやらわたしはそれがすごく下手みたい。

この「自然に身体が動く」発言、先日、着付け教室の先生からも飛び出てきた(?)ばかりで、なんというか、妙に納得感があった。
(先生いわく、「(着付けの順番を)次はどうするんだったかな、と頭で考えるというのではなく、何度も繰り返していたら、自然と身体が動くようになるんですよ」とのこと)

納得感というのは、「ああ、そういうことね」と理解してできるようになった、という意味ではなく、「ああ、わたしは『自然に身体が動く』っていうのができないんだな」ということ。つまり、これまで、頭で考えることばっかりに頼って、生きてきたんだなあと、あらためて気付いた、ということ。

わたしが慣れている「何かを理解するプロセス」というのは、ものすごく受験勉強っぽい。情報を本やメモといった文字媒体を介してのみ、処理してきたというか。
(おそらくこの癖は小学生の頃からすでに始まっていて、だからこそ勉強は得意だったけれども、他のあらゆる習い事(ピアノ、習字、水泳など、身体で覚える系)はからきしだめだった)

とはいえ、同じく身体で覚える系のホットヨガは(上手というわけでは決してなくても)何年も続いていてちょっとは上達していることを考えると、ホットヨガ並みにゆっくりした動作であればなんとかついてけるということでもあるし、しつこく続けていればなんとかなるという可能性が高い、ということでもあるはず。。。?

「身体で覚える」プロセスでの学習方法ももっと上手になりたいので、ホットヨガ以外にも、(学習進度の遅さにもめげずに)しつこくくいついていけるくらい好きなものを見出していきたいと思います。
 IMG_0090
駅前の珈琲豆屋さんのカウンターにて。アイスカフェラテも美味しかったし、コースターが可愛い。
mixiチェック

山崎ナオコーラさんの『美しい距離』を読んだ。

癌で入院中の妻を日々見舞う夫の視線で書かれた小説。

妻にマッサージをしてあげたい、爪を切ってあげたい、髪を梳いてあげたい。
妻のそばで何かをしてあげるこの時間が永遠に続けばいいと願う夫。

彼にとって、家族は妻だけ。
妻の両親を家族と思ったことはないし、結婚してからは自分の両親と姉も家族ではなくなったと、彼は思う。

一方、妻は自分の両親を今も家族だと感じているように、夫には見える。
特に妻と母親は仲がよく、「友達親子」で一緒にデパートに行ったり、映画を見たり、たまには旅行にでかけたり。

夫は自分が妻に何かしてあげることに対して、夫の母親に「ありがとう」と言われるのが嫌だという。
自分がしたくてやっていることだし、母親が彼女自身を自分より妻に近いと感じているからこその台詞だろうことに、反発を感じる。

ひとりサンドウィッチ屋さんを営んでいた妻。
妻の元に、パンを卸していた若い双子の男の子ふたり組や、野菜を卸していた長野の農家もお見舞いにくる。
「あんなにお痩せになって。。」と帰り際に泣く農家の男性にも、夫は反発を覚える。
自分は泣くのを我慢しているのに、自分より「遠い」間柄の人間に簡単に泣いて欲しくないと。
でもその次の瞬間に、それでも妻の前で泣かない配慮はしてくれたのだから、とそんな風に思う自分を諌める。

会社に介護休暇で短時間勤務を申請するとき。
介護保健の認可の相談をするとき。
担当の医師と話をするとき。
妻が亡くなって、お葬式で弔問客の相手をするとき。

夫は、他人の物語を妻に当てはめて欲しくない、と思う。
ひとはみな自分自身の経験をもとに、自分なりの物語をもっている。
でもそれはあくまで彼らの物語であって、妻のではない。
妻は妻でひとりの人間として、固有の物語をもっている、と。

とても、いい小説だった。 
IMG_0078
mixiチェック

今日は横浜駅で待ち合わせて、ガイド友達と鎌倉ハイキング(兼下見)へ。

彼女は10年以上のキャリアがあって、ガイドとしては大先輩。1度彼女のツアーに同行させてもらう機会があったのだけど、英語がとても流暢かつこなれていて、お客さんへの態度もフレンドリーかつプロフェッショナル。なので、尊敬するガイドさんの1人なのだけど、嬉しいことに同年代・働く母・横浜在住と共通点が多くて、親しくさせてもらっている。

今日のハイキングコースは彼女が自らの足を使って開発したルートで、わたしはもちろん初めて。彼女とおしゃべりしながら緑と紫陽花が美しい山道を2時間近く歩き、とてもいい時間を過ごせた。

わたしはロングにしろワンデーにしろ、基本的には旅行会社があらかじめ決めた行程をたどるツアーがほとんど。時間に余裕があるときやフリーライムには自分から提案した場所に連れていくこともあるけれども、1日の行程をまるまる自分で作ることはほぼない。

一方、彼女は自分のウェブサイト(これがまたセンスがよくて素敵!)を介してお客さんと直接やりとりして行程を決めたり、自分が好きな分野のツアーを立ち上げたりと、とっても能動的な仕事の仕方をしている。 

わたし自身がロングツアーをメインにしているので、周りにいる同業者たちも似たような働き方をしているひとが多い。だから余計に彼女の仕事の作り方はとっても新鮮だし、ちがうからこそ学べることも多いなあと感じる。 

ということで、とても楽しくかつ実りの多い1日となりました: ):)
IMG_0023
鎌倉は湿気が多い。たっぷりと水分を含んだ空気が気持ち良かった。
IMG_0056
紫陽花も美しい時期。
IMG_0065
ついでに気になってたカフェにも寄ってみた。開放的で緑に囲まれていて、すごくよかった!
IMG_0070
 ベジタブルプレート(だったかな?)、美味しゅうございました:):)
mixiチェック

昨日、都内で人に会った。1年半ぶりの再会。

日本が初めてだというその人に都内を案内する約束だったのだけど、晴天でとても暑かったこともあって、お茶しては話して、ランチしては話して、夕食を食べては話してと、結局、室内でおしゃべりしてばっかりだった。

1年半前、彼は絶好調だった。何もかもうまくいっていて、もう全身から自信がみなぎっているようで、とても眩しかった。仕事上のアドバイスを沢山もらったのだけど、すべてとても的確で、「もうこの人こそがわたしの師匠!」と、仰ぎ見る存在だった。

でも、昨日、話していくうちに、彼が今いろいろな事情を抱えていることがわかった。すごくつかれているように見えた。お世話になった人なので何か力になれればと思ったけど、わたしにできることは何もなくて。

1日一緒に過ごして別れて帰るとき、なんとなく気持ちが塞いでしまったので、親友に話を聞いてもらったら、こんなことを言っていた。

"Well, it's his issue, not your fault"
"We all have highs and lows"
"I am sure it's tough, and I hope he'll be ok"

「うん、わかるよ。でもそれは彼の問題であって、君のせいではないよね」
「誰にだって、調子のいいときもあれば、悪いときもある」
「きっととてもしんどいんだろうね。でも、物事がいい方向に動いていくといいね」

"We all have highs and lows"っていう親友の言葉が、なんだかすごくすとんと心に落ちた。
本当にそうだよなあって、心から思う。

大切な人がlowsにいるとき、自分にできることがあればなんでもしてあげたいと思うもの。でも、結局のところ、その人の問題は、その人が自分でどうにかするしかない。その人の人生を代わってあげることも、責任をとることも、できない。最後は自分で何とかするしかない。

こちらができることは、きっと、そうして欲しいとときに隣で話を聞いて、気持ちを寄り添わせること、それから、物事がうまくいくように祈ることぐらい。 

その人のいろいろなことが、その人が望む方向に動いていきますように。 
IMG_0002
 
mixiチェック

↑このページのトップヘ